歩くという哲学
歩くという哲学
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基本情報
| 書名 | 歩くという哲学 |
| 著者/作者 | フレデリック・グロ(Frédéric Gros)/翻訳:谷口亜沙子 |
| 商品状態/グレード | 新品/N(新品) >グレード詳細はこちら |
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誰もが毎日当たり前のように繰り返している「歩く」という行為。本書は、その一歩一歩に「自由」「孤独」「エネルギー」「充足」といった、人生を豊かにする意味が宿っていることを教えてくれる。歩くことは目的地へ向かうためだけではなく、自分自身と向き合い、「今、生きている」という確かな実感を得るための時間でもある。「日がな一日歩きつめた日には、ただ生きていることを実感するだけでも、この上なく深い喜びにひたされる。」そんな著者の言葉は、忙しさに追われる現代を生きる私たちの胸に静かに響く。歩くことの意味を見つめ直したとき、いつもの道も少し違って見えてくるはずだ。今日という一日を、自分の足でゆっくり歩いてみたくなる一冊である。
【目次】
- 歩くことは、スポーツではない
- 外
- 遅さ
- やむにやまれぬ逃走の欲求(ランボー)
- 自由
- 孤独
- 孤独な歩行者の白昼夢(ルソー)
- 根本的なもの
- 重力
- エネルギー
- 憂愁に満ちた彷徨(ネルヴァル)
- 歩行狂人
- 沈黙/静寂
- 永遠
- 道に撫でられる
- なぜわたしはこんなによい歩行者なのか(ニーチェ)
- 充足の諸状態
- 感謝の念
- 野生の征服(ソロー)
- 反復
- 世界の終わり
- 宗教的精神と政治(ガンディー)
- 共に歩く――祝祭のポリティック
- アブラハムの歩み(キェルケゴール)
- 巡礼の道
- 自己の新生、世界の新生
- 犬――キュニコス派の歩き方
- 散歩
- 庭園
- 日々の散歩
- 都市の遊歩者(フラヌール)
- 神々が身を引いても、なお歩む(ヘルダーリン)
- 疲労を求めて
フレデリック・グロ(Frédéric Gros)
1965年生まれ。パリ政治学院政治思想学教授。ミシェル・フーコー研究の第一人者で、主な邦訳書に『ミシェル・フーコー』『フーコーと狂気』『創造と狂気』がある。本書『歩くという哲学』は世界21言語に翻訳されている。
翻訳・谷口亜沙子
1977年生まれ。明治大学文学部教授(フランス文学)。フランス文学・思想を専門とし、著書に『ジョゼフ・シマー 無音の光』『ルネ・ドーマル―根源的な体験』、訳書に『大いなる酒宴』『三つの物語』などがある。
本を購入いただいた方は1冊につき、購入特典を1つ選んで頂けます。オリジナルのしおり、ミニマテリアル、非売品の完成フライです。下記に特典についての説明を記載しますので、選んで頂く際の参考にしてください。
大変好評頂き、即完売となってしまった手ぬぐいの絵柄をあしらい、真鍮のハトメにコットンの糸を通した特別なしおりです。絵は日高の川を友と歩いた日々に思いを馳せて描きました。ぜひ購入した本に差し込んでご利用ください。
私たちもフライフィッシングを楽しむ中で、相当な数のフライを巻き、またそれをストックしてきました。そんな中から、フックサイズやパターンは様々ですが、非売品のフライストックの中からランダムに1つセレクトしてご提供します。どんなものが届くのかはお楽しみに。
私たちが販売しているフライタイイング用のマテリアル。動物の毛皮が故に、パッケージに収まる形で裁断すると、どうしても端切れが出てしまいます。そのような製品作りの過程で生まれたものも、ロス無く活用すべきだろうと思い、エゾシカかヒグマの一方をこちらで選び付属します。小さな端切れですが、気に入って頂けた方はぜひマテリアル商品もお買い求め頂けたら幸いです。
Story
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12歳の川下り。心の中に残ったものは何だったのか。
陽気なネパール人ガイド・タムさんの声に合わせて、子どもたちと息を合わせてパドルを漕ぐ。後志地方を東西に貫く母なる川、尻別川の一区画を私は下っていた。
12歳の川下り。心の中に残ったものは何だったのか。
陽気なネパール人ガイド・タムさんの声に合わせて、子どもたちと息を合わせてパドルを漕ぐ。後志地方を東西に貫く母なる川、尻別川の一区画を私は下っていた。
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「嬉しい楽しいの、その先に。」フライフィッシングというプロセス。
そりゃもう、デカいのが釣れたら嬉しいの一言に尽きる。魚を釣りに行っているのだから、誰だってそうだろう。釣り人なら、誰もが当たり前に抱く感情だ。きっと、それはどんな釣りであっても同じに違いない。
「嬉しい楽しいの、その先に。」フライフィッシングというプロセス。
そりゃもう、デカいのが釣れたら嬉しいの一言に尽きる。魚を釣りに行っているのだから、誰だってそうだろう。釣り人なら、誰もが当たり前に抱く感情だ。きっと、それはどんな釣りであっても同じに違いない。