「嬉しい楽しいの、その先に。」フライフィッシングというプロセス。

「嬉しい楽しいの、その先に。」フライフィッシングというプロセス。

文・写真:福島よしろう
北海道函館市七飯町在住のフライフィッシャーでありスキーヤー。季節の移ろいに合わせて、川と山を舞台に自然の中へと身を置く。人と自然が触れ合うその瞬間をレンズに収めることを、自らのライフワークとしている。

Instagram:@fl_y3

 

そりゃもう、デカいのが釣れたら嬉しいの一言に尽きる。魚を釣りに行っているのだから、誰だってそうだろう。釣り人なら、誰もが当たり前に抱く感情だ。きっと、それはどんな釣りであっても同じに違いない。

 

しかし、ことフライフィッシングにおいては、サイズ以外にも"嬉しい楽しい"がたくさんあるように私は感じる。

(サイズよりも美しさに目がいく鱒達)


言うなれば「"嬉しい楽しい"と思える場面が沢山あたえられている釣り」なのではないだろか。そして、その “嬉しい”“楽しい” を感じられるかどうかは、自分次第である部分が多分にある――
そんな釣りが、フライフィッシングなのだと思う。

 

僕はサンデーアングラーなフライフィッシャー。
月曜日から金曜日までの仕事中は、とにかくフライフィッシングの事で頭がいっぱい。
前日の夜に街に出てお酒を飲んでいても、明日の釣りが気になって仕方がない。
早く帰りたいのだ。
そのくらい、頭の中がフライフィッシングでいっぱいなのである。

 

そして限られた時間(休日)の釣行では、出来るだけ大物を釣りたい。1cmでも大きく。
しかし、天候や水量、釣り人の有無、家族サービスや他の行事など、大物への道のりには、いくつもの壁があり、なかなか思い描く”念願の巨鱒”には辿り着けないのが現実だ。
そもそも実力が伴ってないのが一番原因だろう。
そんな中、フライフィッシングを続けていくうちに、僕は“別の楽しさ”があることに気づいた。

(幾度のフライチェンジの末にやっと出てくれた小さくとも美鱒)

 

それは、サイズを追うのではなく「プロセス」。
そう、プロセスそのものだ。

 

フライフィッシングを嗜んでおられる方々には、なんとなく理解してもらえるだろう。ということで、フライフィッシングにおける自分自身の言う、プロセスとはなんたるか、を小さい脳みそながら考えてみる。

 

まずは月曜日から木曜日まで大物を釣る妄想を激しくする。
とても激しく、もう出来るだけ激しく。

(大鱒は顔つきが違う)

 

いきなりだが、これが最も重要なプロセスである。
プロセスの一丁目一番地。

 

そして前日の夜に”その大物”に出会うため、入念に川を選定し、フライを巻き、リーダーを交換し、ティペットまで結ぶ。気が向いたらフライラインをクリーニングなんかしちゃったりもする。カメラの充電やカードをチェックしたりもする。レンズも綺麗にしたりして。

 

そして、巻くフライは場所、季節、気温、水量、シーズナブルなパターンを考慮しながらお気に入りを巻く(酔う)。

 

もちろんお酒も一緒に。

 

『酒の肴は鱒の肴』

 

なんてカッコつけながら、さらに酔う(巻く)。

(タイイングはフライフィッシャーの妄想を激しく刺激する)

 

そのうち酔いが回ると、巻いてるスレッドも切れだす。
そう、タイイングのやめ時だ。

 

そして早めの就寝を決め込み、ベットへ入り込む。
そこからは記憶が途絶えるまで、また激しい妄想だ。
翌朝は目覚ましよりもちょいと早めに目が覚める。
これが期待のあまりからか、年齢からくる目覚めなのかは分からない。

 

そして、川へ行き毛鉤を垂らす。

 

結果から言うと、ほとんど大物は釣れない。

 

しかし、大物は釣れずとも、たくさんの鱒たちが遊んでくれる。
そして、なるべく時間をかけずに写真に収め、丁寧にリリースする。

 

その巨鱒とは程遠い一尾でさえ、釣り上げるまでには小さく細やかなプロセスがいくつもある。その一つひとつを語ろうとすれば、文章よりも、居酒屋で酒を片手に話したほうが早いだろう。――ということで、ここでは省略しておく。

 

ただ少しばかり例を上げるならば、
ばっちり狙った場所にフライが入って、鱒が出る!
狙い通りにラインを置き、長い間フライがナチュラルに漂って、
ドラグがかかるギリギリで…出る!
何を投げても相手してくれなかった鱒が、フライボックスの片隅にあった”超2軍フライ”に出る!あの虫が飛んでいる!歩いてる!

 

などなどetc...

そんなプロセスを経て、“楽しい”も“嬉しい”もいっぱいになる。
そして――それをいかに楽しむか。
それこそが、フライフィッシングなのだ。


(小さな反転流をナチュラルに流してやっと出た)

と、ここまで簡潔に書いてみたのだが――少し読み返してほしい。

そう、完全なプロセスが出来上がっている。
月曜日の妄想からリリースまで。

完璧だ。


結局のところ、大きな鱒が釣れなくても、どうやって自分が楽しむかが重要であるということ。その楽しみ方が極めて奥深く、そして数多くあるのがフライフィッシングではないだろうか。

そんな“嬉しい”“楽しい”プロセスに気づけるか否かで、人生の豊かさが変わる――
そう言っても過言ではないと思う。

小さな鱒だって、すこぶる賢い。
そんなヤツを相手にして釣り上げた時は幸せを感じる。

なんて自分に言い聞かせながら、そろそろ巨鱒と対峙したいと常日頃思いつつ、かつて釣り上げた大きな鱒との対峙を思い出し、またニンマリとするのだ。

それもまた、大事なプロセスの一つだろう。


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