追いやられているのはどちらなのか

追いやられているのはどちらなのか

文:木村圭介

 

今年の札幌は、降雪量こそ例年並みかそれ以上になっているものの、こと気温に関しては、例年を遥かに超える温かさであったように思う。【このまま春が訪れるのではないか】と思わせるような日が冬の間を通して何日もあったが、3月になっていよいよ本格的に春の訪れを感じるようになってきた。

春は様々な生き物にとって目覚めの季節となる。人も、植物も、そしてもちろん動物も。


私のような釣り人に限らず、北海道で山歩きを好む人全てにおいて共通するであろうと思うが、気になるのが動物の目覚め、特にクマについてではないだろうか。ここ数年、北海道では【人里にヒグマが現れた】というニュースを毎年のように耳にする。しかもそれは一度や二度ではない。昨年11月末に秋田県のスーパーに入ったツキノワグマのニュースは記憶にも新しい。

それらの報道の中でお馴染みなのが【森が破壊され、動物が住む場所を追われて人里に降りてくる】という出演者のコメントだ。私はそれがどうにも腑に落ちなかった。その理由を語っていこうと思う。


この話は、北海道がいつから・どのように開拓されてきたかまで遡る。ここで言う【開拓】は、アイヌ民族のものではなく、本州からやってきた和人によって、山や原野を切り拓き、人が利用できる土地に変えていくことを指すものであることを念頭に置いてほしい。

北海道の開拓は、明治時代の1869年まで遡る。開拓使が設置されるところからその歴史が始まり、1875年に屯田兵1,000人弱が札幌に入地したのが最初の大規模な移民とされる。1881年には当時の天皇が小樽・札幌・室蘭・函館など道内を巡幸したとあることから、道内の海沿いの都市がこの頃には形成されていたことが分かる。

この20年後である1901年、道内の人口が100万人を超える。内陸部の人里もある程度出来上がったのだろうか。ここからさらに20年、1920年には、道内の人口は200万人を超え、市町村制が施行され、250近い市町村ができたわけである。つまり、北海道の大規模な開拓は、この頃がピークであったと考えられる。なお、これらの内容の大筋は、札幌市の小学校に通う4年生が社会科の学習で学ぶ内容であり、特別な知識ではない。


ここで、当時の野生動物と人との関わりについて考えてみたい。この頃は、北海道で手つかずだった自然を次々に拓いていったのだから、拡大していく人間社会と野生動物が暮らす自然界の境界が曖昧になっていたのであろうと想像が付く。北海道開拓の晩年、1910年代には、史上最大の獣害とも言われる【三毛別羆事件】【朝日村事件】などが起こっていたという史実があることからも、当時、野生動物の住処が減っていったということについては納得がいく。


時は変わって2020年代。冒頭でも触れた通り野生動物が人間社会に現れる事例が増えてきているかのように取り沙汰されている。そこで考えてみてほしい。昨今、山や原野を切り拓いて人工物を造るといった事業について、どれだけ具体例を挙げることができるだろう。北海道の名流・尻別川の流域上流エリアにおける、オリックス株式会社による45機の風車建設計画が思い浮かぶ。しかし、それ以外には大規模な事業の例を私は挙げることができなかった。確かに技術は進歩し、暮らしは豊かになった。日常と「自然」が遠いもののように感じている人もいるだろう。そのようにメディアが報じているのも時折見かける。


ただ、釣りやウィンタースポーツを通して山に入っていると、この令和の時代に野生動物は本当に追いやられているのだろうかと感じることがある。それは、自然に飲み込まれていく人工物を目にしたときだ。山間の荒れた農道を走っているときや川岸を歩いているとき、今にも潰れそうな建造物に出会う事がある。作りから察するに、昭和初期前後の建物であることが多い。おそらく、開拓者の住居であったのだろう。そういったものを道内各地で見ることができる。生きることに必死だった時代に、人間社会は今よりもっと広い範囲に及んでいたのではないだろうか。そう考えたとき、当時と比較して野生動物が暮らす世界はかつての広さを取り戻しつつあると考えることができる。

 


では、なぜ今になって野生動物が人間社会に現れるようになったのか。そこには様々な要因が考えられるが、その一つとして山に近い農山村部のゲートとしての役割の弱体化があるのではないかと思う。道内の様々な地域に出かけていくと、様々なまちの様子を目にする。かつて栄えていたであろう商業施設に軒並みシャッターが降りているまち。食料品をはじめ買い物をする店がセコマしかないまち。そして、それすらないまち。かつては自然界に近いまちにそれぞれコミュニティがあり、野生動物に対する備えも行うことで、それらがゲートになっていた。それが今や機能していないことは容易に想像がつく。

野生動物が追いやられて人間社会に出てきているのではなく、人間社会が追いやられているという見方ができるのである。


今日の発展の舞台はデジタル上だ。そして、情報もまたデジタル上でもの凄いスピードで広範囲に拡大していく。自然界を感じにくい今だからこそ、自然の姿を正しく捉えようとする自分でありたい。

 

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