離島で未来を紡ぐ

離島で未来を紡ぐ

文:横山 雄哉

 

北海道の離島「天売島(てうりとう)」をご存知だろうか。

北海道外の人は、名前を見たことも聞いたこともない人も少なくないだろう。私も本州から北海道へ移住してから、名前を目にすることはあったが、どういった島なのか全くと言っていいほど知らなかった。そんな「天売島」に行く機会が突然訪れた。

 

「天売島(てうりとう)は、北海道北西部の日本海に浮かぶ離島。留萌振興局管内の苫前郡羽幌町にある羽幌港から30km西にあり、天売島の東側に並んで浮かぶ焼尻島とともに羽幌町に属している。面積5.47km2、周囲約12km、人口は273人(令和3年9月時点)。島の名は、アイヌ語の「テウレ」(魚の背腸)もしくは「チュウレ」(足)に由来すると言われている。ウミガラス(オロロン鳥)の日本における唯一の繁殖地であり、「海鳥の楽園」と呼ばれる。」 ーWikipedia「天売島

 

 

天売島へ行く機会ができたのは、顧問を務める岡村俊邦先生(北海道科学大学名誉教授・NPO法人近自然森づくり協会理事長)がきっかけだった。岡村先生は、以前から自然に近い多様な森林を再生する活動をされているが、そんな岡村先生が軸となって活動されている「天売島応援プロジェクト」への参加に声がけいただいた。
天売島がどんな島なのかをネットで調べたところ、天売島は「海鳥の楽園」として、人間と海鳥が共存する世界的にも貴重な島であることがわかった。こんな島に行くことができるなんて二度とないチャンスだ。しかし同時に、「森林・水不足」や「海鳥の減少」「人口減少・過疎化」など島が抱える深刻な問題を取り上げた記事も目にした。

また同時に、この天売島の問題を解消していくには、岡村先生の森づくりの手法である「近自然森づくり」が天売島の問題解消に適していると感じた。「森林・水不足」を例に挙げて、天売島が抱える問題を具体的に説明したい。

 

森林不足からの水不足

天売島は、島民の日常生活に支障をきたすほどの深刻な水不足の問題をかかえていた。この水不足に陥ってしまった根本原因は漁業だとされる。江戸時代に、北海道で本格的なニシン漁が始まった。ニシン漁は天売島にも広まり、栄えることとなった。ニシンを煮沸したときに発生する魚油を搾り取ると、「かす」(=「ニシン粕」)が生じるのだが、この「かす」が肥料として効果があることがわかった。ただ、ニシンを煮沸する過程で、大量の薪が必要となった。薪を確保するために島の森林が伐採され、明治時代には多くの森が消失。さらには明治・大正時代にかけて山火事も発生し、1884年には島内で森林伐採が禁止されたが時すでに遅く、天売島の森は消滅の危機に瀕してしまった。

森林が減少すると、なぜ水不足に陥るのか。その因果関係が気になるだろう。それは、森林が「水を蓄える力」を持っているからである。根の動きなどによって、森林の土壌は隙間が空きやすく、スポンジのように水が染み込み、水を蓄えることができる。土の中で蓄えられた雨水が徐々に移動して、川に流れ込ませることができるのだ。また、川に流れ出る水の量を緩やかにし、洪水や土砂崩れも予防することもできる。これらの森林の働きのことを「水源涵養(かん養)機能」という。森林が、"緑のダム”と呼ばれているのが納得できるだろう。逆に森林量が少ない場合、降雨はそのまま地表を流れて海に流出してしまい、水を蓄えることができない。つまり、水不足解消には、森林の保全が不可欠なのだ。

天売島の治山事業は、森林伐採が禁止になってから始まった。1895年にはカラマツが千本ほど植えられ、大正時代前半にかけて25万本もの植樹が実施された。それから1954年には公共治山事業による森林再生への取り組み「防風林造成事業」も始まったが、やせた土壌や季節風による倒木や寒風害、またねずみによる食害によって、期待する成長は見られなかったという。1980年から6年間、グイマツやトドマツなどを使った「水源林造成事業」が実施されることになった。これによって、天売島の森林量の増加が進み、土壌の保水力が向上し、さらに地下水の開発と相まって、水不足の問題の解消に繋がった。

ただし、最近では、この問題が再浮上しつつある。天売島でこれまで造成された森は、針葉樹単一樹種の過密林だった。また、森林の手入れがされず、対応が遅れてしまったこともあり、台風等の強風で倒木が多くなってしまっている。この問題が放置され続けると、以前のような森林不足の状態に戻ってしまい、再び水源が枯渇してしまう可能性が高い。
世界的に貴重な「海鳥の楽園」を守るためには、継続的な森林の保全が必要である。

 

 

そこで、2016年に「天売島応援プロジェクト」が発足された。
針葉樹単一樹種の過密林を
多様で安定した森に変える取り組みとして、岡村先生の森づくりの手法である「育成木施業」が実施され、過密林が適した手法で間伐されることになる。さらに、間伐した木材で、天売島内にシーカヤックの艇庫やサウナ小屋が建てられることになり、島民の生活を豊かにするための取り組みも実施されることになった。「天売島応援プロジェクト」によって、森づくりだけではなく、島民の文化にまで広範囲で良い影響が及んでいるのがわかる。

また、天売島内で裸になってしまっている森に対して、採種から始まる一連の混交林造成過程を一つのシステムとした岡村先生の「生態学的混播・混植法」を導入し、生物多様性と持続性のある森林再生も進められ、天売島の未来を見据えた活動が続けられている。

 

 2024年から「天売島応援プロジェクト」の一員として参加することになった。天売島の景観は非常に感動的で息を呑むものだったが、それ以上に、島の存続のために、多数の方が島民の皆さんと手を取り合って協力的に活動している様子に直面して、私自身、心を揺さぶられるものがあった。

「天売島応援プロジェクト」の具体的な活動内容については、to The Earthの活動レポートで定期的に報告していく予定だ。我々はこういった活動の幅を広げ、北海道のみならず、日本全国で活動していきたいと考えている。

 

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