文:五十嵐翔太
傾斜のゆるい、細く蛇行する小川の底でゆらゆらと体をなびかせている。彼が動くたび、春の日差しが水の中でがほんのりと煌めく。手の平より少し大きいだろうか、小さなイワナだ。
私は、季節の中で春が一番好きだ。
なんとも表現しがたい喜びがこの季節にはある。
春の始まりを早春。次に盛春、晩春とするのであれば、木々が芽吹き出す盛春の入口が最も好きなタイミングだ。あの美しい、はつらつとした緑がたまらない。山々を見て、目に入る全ての植物全員がこの春を待っていたんだ。そう考えると、思わず「わーい!」と声を出したくなる。嬉しい気持ちが溢れ出てくる。
そして、この季節は釣りをしながら新緑の森を、川を歩くのが本当に気持ちがいい。日に日に緑を増す木々の若葉は、朝見たときよりも心なしか日中には少し伸びているような気がするくらい、躍動をもって芽吹いてくる。
川岸にはまだ雪が残り、雪代がこんこんと混ざり流れる中、フライング気味に渓流へ出かける。(ちなみに私はフライフィッシャーである)私はここ最近、小川程度の幅の川に出かけるのがお決まりである。
小川程度、というのは雪代が入っていてもたかが知れてる水量、もしくは雪代なんてこの川にはないのか、くらいのほんとうに小さな流れ。ちょんと跨げるくらいの川幅である。いくつか候補があって、その年の天気や気分で選んで出かける。
ちなみに雪代まえの本流狙いはしなくなってしまった。なんだかんだ寒いというのもあるが、残り僅かなスキーシーズンとも時期が重なってしまっている。これから暖かくなってくる、ゆっくり釣りを楽しもう。そんな心持ちだ。
小川ではもちろん大物なんていない。15cmくらいの魚が釣れればいいくらいだ。それでもいい、釣れてくれるだけで十分だし、春の川を日差しを浴びながら緑を眺め歩いているだけで心が満たさせる。なんだったら釣れなくてもよいのだ。
もちろん、そりゃあ魚が釣れると嬉しい。小ぶりであっても、その年一番最初に見る渓流魚の美しさに、見惚れてしまう。今年もよろしくお願いします、と言いたくなるが、まあ釣られる方はそんなことちっとも望んじゃないないだろう。
ここで、背伸びして大きな魚を狙わないのがよいところ。しっとりと春を味わう、シーズンインを味わうのが私なりの流儀なのだ。50cm、60cmなんて掛けたら、騒がしいのである。これは釣れないフライマンの言い訳ではない、と念を押しておく。”流儀”なのだ。
さて、歩くだけでも本当に気持ちのよい季節、川辺を歩いているとポツリポツリと姿を見せてくれるのはやはり春の主役、山菜だ。春は山へ行くたびに季節がじわじわと進み、生えてくる山菜も変わってゆく。
トップバッターはもちろん、フキノトウ。
北海道では至るところに生えていて、採る気が失せるくらいにそこら中フキノトウだらけなのだが、川辺育ち、というプレミアム感をまとったフキノトウを採る。
天ぷらにしても美味しいし、フキノトウ味噌もうまい。油を少し多めに入れて炒めるのがおすすめだ。ホカホカの白飯に乗せると、じゅわっと油分とともに旨味が米に絡む。
あさつきも、早めに出てくる山菜だ。
定番の酢味噌和えも良いのだが、さっとごま油で炒め、醤油に漬けるのが美味。つまみにもなるし、豆腐に乗せたり、米に乗せたり。醤油にも風味が存分に移っており、これを納豆や卵かけにかけるだけでうまい。シャキッと感が少し残るくらいの炒め具合に留めるのがポイントだ。
やがて季節が進めば、行者ニンニク、ウド、タラの芽、ハリギリ、ヨブスマソウ、ニワトコ、ヤチブキ、イラクサなど様々、書ききれないほど私の好きな山菜が出てくる。毎日、食卓は山菜づくしの季節がやってくる。植物たちが冬の間に貯め込んだ息吹を美味しく頂く。山菜はエネルギーに満々ちている。
毎年、訪れる場所がある。道路の脇から、戻れるのか不安になる悪路を進むと大鱒が潜んでいそうな一級ポイントが目の前にあって、車をすぐそばに止めることができる。大岩が連なり岸壁を成し、そこに流れが当たり大きな淵になっている。そしてその淵から出た流れは大きな沈み岩にあたりトロッとした流れに変化を与え、プールもこさえている。
もう、いかにも!な雰囲気だ。だか、そのポイントで釣れたことはない。しかし、それでいいのだ。
ここでは、椅子とテーブルを出し、コーヒーを入れ、周辺で採れるウドやいくつかの山菜をその場で天ぷらにして楽しむ。いかにもな雰囲気のポイントを目の前に想いを馳せ、妄想を膨らませながら、ゆっくりと時間を過ごす。これほどない贅沢な過ごし方だ。
たまにポイントにフライを投げてみるがやはり釣れない。しかしここで釣れてしまっては釣り人としての欲が出てしまい、きっとゆっくりと過ごすことは叶わなくなってしまうだろう。大鱒がスウッとフライを吸い込んだら私はとても自制出来る自信がない。
ある時、残りの人生で元気に釣りに行けるシーズン数を考えてみた。釣行数ではなくシーズンだ。まだまだ若いが、元気にバシバシ渓流を歩けるのはいつまでだろう、そう考えると急にとても少ない気がしてくる。普段から、アウトドアを楽しみ、季節を肌で感じることが多いと、刻々と時が過ぎ、消化されていく感覚がする時がある。次から次へと季節が移り変わってゆく。だからこそ、しっかり自然を季節を感じたいと思えるのかもしれない。
さあ、これから楽しい季節。
みなさんはどんなふうに季節を楽むだろうか。