文:木村圭介
家の裏の山。それが私の原風景だった。
生まれ育った北海道を出て宮城県へ移り住んだのは、18歳の春。教員になるべく進学した大学が仙台市にあったためであった。当時は慣れない暮らしに戸惑いながらも学業に追われる日々を過ごしていた。そんな生活も1年も経てば落ち着きを見せる。小学生時代に憧れたフライフィッシングをしてみようとふと思い立ち、フライフィッシングショップを訪れたのはその頃だった。訳もわからないまま中古のUFMウエダの竿と名も無いリールを始めとした用具一式を揃え、原付きに跨り仙台市近郊を流れる渓流に向かった。目的地に着いたその時の情景を今でも思い出すことができる。風が木の葉を揺らす音、鮮やかな緑、生の水の匂い。
自分にとって自然が与えるものの大きさに気付いたのはその瞬間だった。
子どもの頃過ごした実家の周りは自然に溢れていた。家の裏にある山を少し登ると、放棄されたアスパラ畑があり、さらに進んでいくと林があった。歩きづらくない程度に木々が立ち、その中に大きな岩が2つ並んで転がっていた。拾ってきた枝を渡して秘密基地にしたものだった。そばを流れる川にはカジカが住んでいて、山女魚釣り用に買ってもらった仕掛けを流して遊んでいた。来る日も来る日もそんなことをしながら過ごしていた。
子どもは遊びの天才だ。どんなものであれ、身の回りにあるものの魅力を活かして楽しむ術を知っている。教員になって強く実感したことである。彼らは優れた感性を持っていて、感じ取った面白さを表現することに遠慮がない。大人では躊躇うようなことでも実行できてしまう思い切りの良さがある。その力は対象が自然物だろうと人工物だろうと同じように発揮される。きっと自分もそんな存在の一人だったのだろう。
結局のところ、大人になっても自然の中に身を置こうとするのはそうして幼少期に自然の魅力を全身で感じてきた人間たちばかりなのではないだろうかと思う。我々にとって自然とは、破壊してはならない環境ではなく、大切な友人なのである。
私に自然の魅力を感じさせてくれた原風景は、もう既にない。次々に切り拓かれ、そこには住宅が立ち並んでいる。それを悪だとは思わない。ただ、気掛かりなことがある。
私達の友人がそうであるように、これからを生きる子どもたちの良い友人となることを願わずにいられない。