文:川橋 邑仁
今までに馴染みのなかった方面の川を訪れてみようと思い立ったのは、夏の盛りを過ぎた頃。まだ幼い息子を連れて家族でブラリと出かけ、新しくできたグルメスポットなんかを冷やかした帰り道、川に寄ってみた。以前から気になっていた区間だった。このネット全盛の時代にあってもあそこは釣れるとか釣れないとか、そんな噂を不思議と耳にしたことがなく、その理由を確かめてみたいということもあった。夢見がちな釣り人なら、誰も知らない流れに素晴らしい鱒が溢れているかも、と妄想するかもしれないし、現実的な釣り人なら、魚が居ない、釣れないから誰も話題にしないのだろうと考えて気にも留めないところだろう。
車を停め、橋の上から川を覗き込んでみると、残念なことにおおよそ魅力的とは言い難い流れだった。上流にある大きな取水ダムの影響で水は涸れ、なんだかうっすら濁って澱んだ水の底に群れた小さなウグイが、たまに水面近くまで浮かんできては、ポツリポツリとささやかな波紋を作っている。淡い夢を見ていた私の中の釣り人は冷静さを取り戻し、自宅までの帰りの行程を考えることにした。
ところが、車で待っていた息子がトイレに行きたいと言い出した。幸いその橋のたもとには綺麗に整備されたパークゴルフ場があって、きちんとしたトイレも設置されていた。息子を連れてトイレに向かう妻に向かって少し釣りをしてくることを伝え、簡単な準備だけをして川に降りた。まだ明るいが太陽は山陰に隠れようとしている。1時間も釣り上ってみれば、だいたいの様子はわかるだろう。
川幅は広いところで3mほど。水の涸れた流れを遡っていくと、大きな木が川を跨ぐように倒れかかったプールに出会った。じっと眺めていると、黒い背の魚がプールの真ん中に定位しているのがはっきりと見える。大きさは40cmくらいだろうか。涸れた流れだけにキャスティングは簡単なものだった。竿1本分程フライラインを引き出して、魚の頭側にマシュマロビートルを静かに落とすとゆっくりと口を開けて毛鉤を吸い込んだ。魚は雨鱒だった。妙に黒い背中と細く痩せた魚体から、この取り残された流れに生きることの厳しさが窺えた。こんな厳しい流れにも魚がいることがわかって少しホッとした。
その先のカーブを左に曲がると開けた瀬に出た。ザブザブと瀬尻に立って川面を眺める。と、視界に何か違和感を覚えて足が止まった。じっと揺れる川面を見通すと、フライロッドが届きそうな所に大きな鱒がいる。その鱒は気まぐれに浮上しながら水面で餌を取り、ゆっくりと上流に向かっていく。鱒が上流に向かっていくのを見届けてから、今度は音を立てないように細心の注意を払い、私は岸に上がった。少し小高くなった川岸からから見下すと、さっきの大鱒が反時計回りに移動しながらライズをしているのがよく見える。少し縮れていたティペットを交換し、マシュマロビートルの針先を確認。鱒の鼻先に毛鉤を落とすと、その鱒はあっけないほど簡単に吸い込んだ。7フィート 4番のグラスロッドは、少し頼りなかったが、小さな川だったので、強引なファイトに持ち込むと鱒はすぐに寄ってきた。インスタネットは重たい大鱒を掬うとフレームがゆがむので、両手でフレームを支えないといけない、ということをこの時初めて学んだ。細い流れには似つかわしない太い大きな鱒は、虹鱒だった。優しい顔つきからして雌だろうか。すぐに針を外してリリースすると、彼女は気だるそうに流れに戻っていった。
その鱒のことが気になって、また次の週の夕方も同じ場所を訪れてみた。川岸からはゆったりとクルージングする鱒の姿をすぐに見つけることができた。そして今回も私の投げる毛鉤を吸い込み、取り込み、また同じようにリリースをした。
それからも2、3度そこを訪れたが、もう竿を出そうとは思わなくなった。1日の釣りを終え、夕暮れの光が薄れる中、彼女らしき鱒がゆっくり浮き上がり、パクリと何かを食べ、また元の流れに戻っていくのを暗くなるまで眺めていた。
その年の秋、記録的な台風がやってきた。極地的な豪雨は川の様子を一変させてしまった。翌年、恐る恐る川を訪れた私は、台風の爪痕が予想を遥かに超えていたことを知った。「見る影もない。」とはまさにこのことだった。そして、夕暮れの流れのほとりに座っていくら待っていても、あの鱒の影が現れることはもうなかった。