文:横山 雄哉
最近は、“ごみ”について考えることが多くなった。
RIVにジョインしてから「環境保全」について考えるきっかけが増えたこともそうだが、我々としての活動を進める中で、自分の周りの人の変化があったことも大きく起因しているだろう。
我々の顧問を務める岡村先生(北海道科学大学 名誉教授 NPO法人近自然森づくり協会 理事長)や一緒に森づくりのための活動をされている方々、北海道内に生息する野生動物を守る活動をされている方や森林組合員の方々など、自然と密接に関わる人たちとコミュニケーションをしていくことで、以前は意識できていなかったことに必然的に目が向けられるようになっていった。
周りの変化から、自分自身が“自然がどうあるべきか”について触れる機会が多くなってから、“ごみ”について意識するようになってきたのだろう。
まず、RIVの環境保全活動の第一歩としては「ごみ拾い」からスタートしている。
環境保全活動として活動できる幅は非常に広いのだが、まず手軽に始められることから手をつけることにした。
場所は、北海道の厚真町周辺。札幌から車で1時間20分ほどの場所だ。脇道に車を停めて、車道に沿う森の中に入ることにした。場所選びとしては、ごみが落ちていそうな場所というよりも車が停めやすいことが優先されたランダムな場所だったが、まず車道沿いにも至る所にごみが落ちていることにまず驚いた。森に入ってからといい、あちこちに空き缶やペットボトルが落ちている状況で、無数にごみが散乱している状況だった。
落ちていたごみは、弁当の空箱、ビニール袋、空き缶やペットボトルなどが多かった。ごみ拾いをしていくなかで、ごみのほとんどは車道を走るドライバーによるポイ捨てが原因であることがわかった。中には、チューハイやビールの空き缶など、飲酒運転を疑うようなごみも少なくなかった。食べ残しや飲み残しのあったごみが年月を経て腐敗して、ひどい臭いを放っているごみもたくさんあった。袋を二重に包んだ状態のごみ袋を車のトランクに積んで帰ったのだが、窓を全開にしてもひどい臭いが車内に立ち込めて耐えきれないほどだったことを今でも覚えている。
“ごみ”とは何かを考えたことはあるだろうか。
そもそも「廃棄物」という大きい括りがあるが、廃棄物は「産業廃棄物」「一般廃棄物」の2つに大別される。その「一般廃棄物」の中に “ごみ”が含まれている。さらにごみの中でも「家庭ごみ」と「事業系ごみ」に分かれるようだ。
また、 “ごみ”そのもののについてWikipediaでは以下のように定義されている。
- 一般には生活に伴って発生する不要な物。
- ものの役に立たず、ないほうが良いもの。
- 利用価値のない こまごました汚いもの。「ちり」「あくた」「ほこり」。
「不要、役に立たない、利用価値がない」ものが“ごみ”となるようだ。
まず、“ごみ”とはなにかを考える上で、モノとヒトの関係性を理解する必要がある。
我々人間が生きていく過程で、言うまでもなくモノは必要不可欠である。ただ、そのモノが、そのヒトにとって不要、役に立たない、利用価値がなくなった瞬間に“ごみ”へと変わる。
小さい頃にあんなに愛でていたぬいぐるみも、痩せるために始めたダイエット器具も、年月を経ていつしか“ごみ”になる。モノから“ごみ”へと変化するプロセスには、人間の価値基準から「不要だ」と判断をしたことに依存する。要は、そのヒトの主観でモノから“ごみ”へと変化する。あなた自身が不要と感じれば、“ごみ”なのである。ただし、あなたが“ごみ”と感じていても、他人が「必要」と思えば、そのヒトにとってはモノとなる。不思議なものだ。
実家に帰省した際に発覚したのだが、私の大事にしていた漫画本が一式捨てられていた。私にとっては、モノだったが、捨てた本人からしたら“ごみ”だった。こういったヒトの価値基準から判断された主観的な見方によってはモノにも“ごみ”にも変化してしまう。
モノと“ごみ”の線引きは紙一重ということがわかるだろう。
今から30年以上前の1987年の「1人あたりの1日のごみの排出量」は1,040gだったらしい。
それから2000年時点で1,185gと、排出量としてはピークを迎える形となったが、そこを境に減少をし続け、2021年時点の1人あたりの1日のごみの排出量は890gとなった。1987年から150gも減っている。
予想に反して、 1人あたりの1日のごみの排出量としては昔よりは減少していたようだ。
2000年からごみの排出量が減っていったのにはいくつか理由がある。
景気が悪くなってそもそも物を買わなくなったことや人口が減ったといった時代的な背景はあるが、リサイクルに関連する法律が制定されたことや、市区町村の分別ルールを守るようになったこと、メーカーがごみを減らす取り組みをしたことなど、明らかに人為的に、「ごみをできる限り出さない、もしくは減らすようにしたこと」が大きな要因と考えている。ヒトの意識や取り組みが変化したからこそ、減少へと影響したのだとわかる。
一昔前からごみを減らす取り組みとして「3R」という考えが世に広まっている。
Reduce(リデュース)、Reuse(リユース)、Recycle(リサイクル)である。以前、テレビコマーシャルで3Rについて取り上げられていたのが記憶に新しい。
- Reduce(リデュース):使う物の量を減らし、ごみの量を減らす
- Reuse(リユース):物を長く使う、ごみの使い手を変える
- Recycle(リサイクル):資源として再び利用することで、ごみを減らす
こちらの3Rに加えて、「Refuse(リフューズ)」が加わった4Rもある。
ごみになるモノは断る、買わない、持ち込まないということだ。私自身は、無駄や浪費、ごみをなくす「ゼロ・ウェイスト」を実現するためには、このRefuse(リフューズ)が大切だと考えている。そもそもごみを生み出さないようにする、ということである。将来的に“ごみ”になるものを、極力持ち込まないということだ。
恥ずかしながら、私自身はモノが多い。多趣味が高じてなのか、考えなしに買い漁っているからなのかわからないが、そう感じる。 所持しているモノが多い分、いつか“ごみ”になるモノも多いということだ。ただ、私も意識が変化し始めており、すでに所持しているモノが不要になってしまった場合は、“ごみ”として捨てるのではなく、Reuse(リユース)のために売りに出し、今後手に入れるモノはRefuse(リフューズ)の観点から吟味したいと感じるようになった。そういった個人のちょっとした意識から、社会全体でごみの排出量の減少へと繋がってくるのではないだろうか。
我々RIVは、環境保全の活動もそうだが、アウトドアブランドの製品開発を軸に行っている。製品開発のために取り組みが始まったばかりだが、すぐに“ごみ”にならない、モノとしてずっと使い続けられるような製品開発をしたいと本気で考えている。
大量生産される製品や一過性のあるデザインは、我々のモノづくりへの意図や本心とは対局にある。クラシック音楽のように、時代が変わっても使い続けられる普遍的な製品づくりを目指したい。そこにはデザイン性だったり素材や材質など耐久性なども高いハードルになるだろう。しかし、我々はその高いハードルを越えて、修理してでもそのヒトが使い続けたいと感じる、また、そのヒトにとって不要になってしまった場合でも、Reuse(リユース)によって別のヒトがモノとして使えるような時代を超えても愛される製品づくりをとにかく重視して取り組んでいきたい。