文:五十嵐翔太
フライフィッシングは、あらゆることが出来る。
魚釣りが出来る。
魚に出会うことが出来る。
川の中を散歩することが出来る。
体を動かし、汗をかき、運動することが出来る。
虫や動物、自然、そこに息づくものたちへ視線を向けることが出来る。
季節の移ろいを感じることが出来る。
一生の友達を作ることが出来る。
一緒に川にいく人の人間性を見ることが出来る。
どんな思想を持っているか、その人の根を見ることが出来る
フライを作ることが出来る。
ファッション、カルチャー、美しさへの感度や感性を高めることが出来る
これが私から見たフライフィッシング。
もっとも、これ以上にあらゆる側面があると思うし、様々な角度から語ることの出来るもの
それがフライフィッシングだと思う。
ただ私にとって“魚釣り”は、フライフィッシングのほんの1つの要素でしかない。
私は、フライフィッシングで魚を釣ることに執着しすぎることをあまりおすすめしない。おすすめしない、というか出来れば執着しすぎている人とは、あまり一緒に川に行きたくない。というのが私の本音だ。
あまりこういうと、友達が減ったり同行する人に気を使われたくないので、自分なりにフォローしておくと、僕も魚が釣れたらもちろん嬉しい。というのを一応伝えておく。みんなと同じ様に魚のことだって大好きだ。
フォローしておいてなんだが、
”フライフィッシングが上手い”ということに心を奪われすぎるのも、おすすめしない。
極論、へえ上手いからなんなんだ?とさえ思う。
この2つの意味が上手く伝わり、私の友達が減らないことを祈る(笑)
さて、私はフライフィッシングはスター・ウォーズにおける、フォースのようなものだと思う。明るい面(ライトサイド)と暗い面(暗黒面・ダークサイド)が紙一重のところに同居しており、ツンと指で押すだけで暗黒面に落ちてしまうような危うさを持っているとさえ思う。どちらもフライフィッシングというフォースが持つ要素だ。
フォースは力であり、概念であり、いたるところに存在する。
人を惹きつける非常に強い引力があり、扱う人によっていかようにもなる。上手く扱えば頼りになるものでもあるが、取り憑かれ危険な要素も合わせ持つ存在なのだ
例えば、巨鱒がかかった時の、脳の根底から、許容量を超えてアドレナリンが湧き溢れ出るような感覚。そして、とても表現しきれない掛けている時の、ギチギチに限界まで張ったような、張り裂けそうな、時の流れ。
あんなもの、どう考えたって危ないだろう。
うまく釣れても、途中でバレても、なんなら上手くフッキング出来なくても、そんなものは一緒さ。危ないとしか言いようがない。
どんな修行をした者だって、あれを味わったら終わりだ。
仕事なんて、悪いがとても手につかない。
正直なところ、世間にバラすが、フライマンなんて仕事中だろうが
上司と会議をしている時だろうが、巨鱒のことが頭にこびりついて離れないのだ。
これがフライフィッシングのダークサイドだ。
ギャンブル中毒となんら変わらないし、*****中毒とも変わらない。
だが思う、こんなフライマンはカッコ悪くないか?
こんな鼻息の荒いギラギラの目をしたやつ、一緒に川に行きたくない(笑)
ただ、もちろん
私もそのダークサイドはよおく、そしてとても深く知っている。
そう、暗黒面は非常に魅力的なのだ。
ルーク・スカイウォーカーも暗黒面に落ちたように
多くのフライマンがその魅力に取りつかれ、やがて落ちる。
あなたも、気をつけなくてはいけない。
では、その為にはどうすればいいのか。
私がおすすめするフライフィッシングとの関わり方は
もう”魚釣り”はフライフィッシングのついで、そう思うこと。
いやいや、そんなこと言ったってフライフィッシングは釣りなんだぜ?
大丈夫、フッと肩の荷が降りて楽に過ごせるようになる。
フッキング出来なくても、笑えるようになるし
巨鱒が途中でバレても、あまりの突然のことに腹を抱えて笑えるようになる。
▲仲間の彼がバラしても私は腹を抱えて笑ってやっている。
もっともっと、私はフライフィッシングの他の要素に目を向けることが大事だと思う。
だって、そもそも「楽しむため」に川に行っているのではないだろうか。
ストイックに求めていった先に楽しみがあるのも分かるが、君はオリンピックにでも出るのだろうか。
友達と早朝のあの気持ちのいい空気の中、待ち合わせて川に向かうこと。
自然の中に身を置き川の流れの中を歩くこと、これだけでも十分に気持ちがよく楽しい。
川を歩きながら、木々や草花、昆虫、動物に目を向けると、あなたが一生かけても、理解しきれないほどの不思議が自然界には広がっている。それは注意深く観る価値があるし、人生を間違いなく確かに豊かにしてくれる。
また、フライフィッシングにはあらゆる先人の知恵やカルチャーが詰まった道具
ファッションの源流となっている服飾、ライフスタイル、哲学、奥ゆかしきタイイング。
そう、フライフィッシングは、“魚釣り”の皮をかぶった、とてつもなく奥深い何かだ。遊びというのか、クワイエット・スポーツというのか、私には未だ分からない。
だからこそ、釣果に一喜一憂するよりも、もっと広く、深く、楽しんだほうがいい。
もちろん、私も上手さの上に成り立つ楽しさは理解している。
それでもフライマンは、もっと自由に。もっと軽やかに。あるべきではないだろうか。
それが私の思う、かっこいいフライマン。