文:五十嵐翔太
私にはフライフィッシングの師匠がいる。
彼はフライフィッシングだけではなく、あらゆるモノの見方、価値観、そして私の知らない世界やカルチャーをたくさん教えてくれた。おそらく、私が社会人になってから最も影響を受けた人物の1人だと思う。私は彼と過ごす時間が大好きだし、この先も関係を続けていきたい。そして、なんとも腹立たしいくらいに奥深い釣りであるフライフィッシングをやる上で、師匠がいることはこの上なく有り難いのだ。
彼と私はいつも会う度に釣りの話しばかりしている。「こないだ入った川の最初のポイントで釣れたニジマスが50cmほどかと思ったら、なんと60cmもありましたよ。しかもその日最初に釣れた魚でね…」「そろそろ、あの川なら雪代が引いているだろうから、いいんじゃないか?」よくそんなことをワイワイと話している。
彼がいたから、私はフライフィッシングを始めたし、本当に色んなことを教えてくれた人だ。だが実を言うと、私は師匠とフライフィッシングを一緒にしたことはない。もちろん、出来ることなら一緒に川を歩きたい。だがこれまでも、そしておそらくこの先も、それは叶わない。きっと難しいだろうと思っている。なぜなら、彼はかなり前にフライフィッシングを引退しているし、彼の年齢的にも、なにより身体的にも。
ただ、急に矛盾した話しになるのだが、なぜだろうか。私は幾度となく彼と一緒に釣りに出かけたことがある気がしている。それも長い時間共に自然を愛で、どちらかが魚を釣り上げれば駆け寄り、バシャバシャと暴れる魚を愛で、楽しんできた感覚があるのだ。しかもそれはしっかりと手触り感のある感覚で、想像するとニヤリとしてくる。釣りが好きな人なら伝わるだろう。あの思い出してニヤニヤとしてしまうあの感覚だ。
私は、今ではフライフィッシングが大好きで、暇を見つけては川にいくのだが、テンカラが私の「毛鉤釣り」のスタートだった。私の父親も、大層な釣りキチだったのだがそれは海での餌釣り。何度も連れて行かれた記憶があるのだが、それは小学生の低学年頃の話しで、それ以降の釣りの記憶はない。それからといったもの、釣りとは疎遠の人生だった。
ただ、大人になってから会話をした人たちの中で、釣りをやっている人がぽつりぽつりと居たのだろう。ふと「毛鉤」というものを使った釣りの会話を聞く機会がなんとなくあった。誰が話していたかも覚えていないくらいに聞き流していたのだが、ぼんやりと頭の片隅にはあった。
そしてある時「アメリカ屋(札幌駅の横にあった釣具店)で数千円で竿を買えるから、まずはそれからやってみたら?」とテンカラという釣りをやっている方からそう言われたことがあった。お金の無かった当時、ぼんやりと片隅にあった毛鉤を使った釣りと、あんまりお金を掛けないで出来るかも?ということで私の心が動いた。
なんでも、思い立ったらすぐに行動してしまう性格の私は、早速アメリカ屋とやらに行ってみた。アメリカ屋?なんとも変な名前だなと思いながら。しかし、行ってみたはいいものの右も左も分からない。店員に声をかけ、5,000円のウェーダーと4,000円ほどのテンカラ竿、毛鉤が3つほど入ったセットを買ってみた。
数日後、とりあえず自宅から20分程の川に1人で行ってみた。たまに通る、橋の下を流れる市街地の川だ。振り方もよく分からずにやっていると、突然パシャっ!と流れるフライに水しぶきが当たり、同時にフライが動く。しかし何度か同じところに投げると何も反応がなくなってしまう。
魚なのかも分からなかったのだが、今度は水しぶきと同時に竿を上げると、魚がかかった。なんとか手元まで手繰り寄せると美しいヤマメだった。私は魚の美しさと、どこか忘れかけていた幼い頃に大好きだった自然とのふれあいを思い出し、それからすっかり川釣りの虜になってしまった。それからというもの、変に恥ずかしがり屋の私はいつも一人で見知らぬ川を見つけては、試しに竿を振ってみていた。
自己流でテンカラを初めて半年立たずの頃、とあるカフェで友人と始めたばかりの釣りの話をしていた時だった。突然年配の男性に「君釣りやるのかい?」と話しかけられた。その年配の男性はカフェのオーナーだった。
彼は「テンカラってシンプルでいいよねえ」と言って話しに入ってきたのだ。少し人見知りなところがある私は、見知らぬ人間に話しかけられ、少しばかりなんとも言えない恥ずかしいような煙たいような、そんな気持ちになった。それが彼との初めての会話だった。
そこから何度か、そのカフェを訪れた際にフライフィッシングというものについて彼が話しをしてくれる機会があった。道具のことや、どんな風に釣りをするのかなど。私は、ほう、なんだか面白そうだ。けどなんか難しそうだけども。といった具合に思っていたのを覚えている。
ある時、仕事帰りの20時頃だろうか。そのお店に立ち寄ってコーヒーを飲んでいた。徐々にお客さんもまばらになり、私が最後の客になると彼はお店の隅においてあったフライロッドを持ち出して見せてくれた。
これまでも絵や写真などでは見たことがあったが、初めて手に取って見るフライフィッシングの道具。カッコいい。私は純粋にそう思ったし、少年心をくすぐられるものを感じた。
「外でキャスティングしてみるか?」
彼が言ってくれた。
私は間違って壊してしまったりしないかなという気持ちと、照れくさい気持ちが混じり合った気持ちだった。外でやってみるか。と言ってもそれはお店の前の人気のない、ただの道路だ。しかも街頭だけの明かりでちと暗い。雨上がりだったのを覚えている。道路はまだ湿っており、空気はひんやりとしていた。
まず彼がキャスティングの見本を見せてくれたのだが、私は口がポカンと空いてしまった。あまりに…美しかったのだ。街頭の明かりに照らされるフライラインは時折光りを帯びてゆらめきながら、スゥー、スゥーと何かに導かれるように前へ、後ろへと弧を描きながらどんどん伸びてゆく。
そして、まっすぐと伸びたラインはふわりと地面に落ちる。
説明を加えながら何度が見せてくれて、そのあとに私にロッドを握らせてくれて、手とり足取り教えてくれた。
初めて私がフライロッドを振ったのはその時だった。
私が自然豊かな場所で育ち、幼少期は昆虫が大好きで、父や祖父とキノコ採りや山菜採りを楽しんでいた話しを聞いてのことだろう。彼は、きっとこの青年はフライフィッシングを気に入ってくれるだろう。そう思って私に教えてくれたのだと思う。彼の予想通りか分からないが、それから私はフライフィッシングに夢中になった。
それからというもの、お店に寄っては彼にこんな魚が釣れた、こんなことがあったと話した。その度に彼は、コツとか技術的な話しをよくしてくれて、私は次の釣りでそれを試してみたりした。もちろん、信頼してくれているからだろう。彼は川の情報なども教えてくれた。
彼は釣りを引退してからかなり時間が経っているのだが、まるで昨日のことのように釣れた魚や川での出来事など、いろんな話しをしてくれる。いや、今一緒にその場にいるように話してくれるのだ。ニコニコしながら楽しそうに。
「あの川の支流でな、大きなイワナがペアリングしててさ」
「ほんとにさ、あそこの渓相は素晴らしいよね」
時には、古びた地図の本をガサゴソと店の裏から持ち出し「この橋あるだろう?ここの下から入って…」そんなこともある。話しを聞く度に私の頭にその情景が浮かぶ。彼の釣り上げたイワナのその姿も、手で触れた質感も想像出来る。
「今年は久しぶりに支笏湖で振ってみようかなと思うんだ」「あそこならオレでも出来るだろう」そんなことを時々言うのだが、彼から実際に行った話しを聞いたことはない。言葉にしたくないのだが、そんな話しを聞くと、私は少しだけ、胸がきゅぅとなる。
いつか叶うなら一緒に釣りをしてみたい。いや、川に立つだけでいい。歩かなくたっていい。
私が一番心に残っているのは、あんなにフライフィッシングを楽しそうに話す彼が「フライフィッシングは川を歩くついでなんだけどね」とぼそっと言ったことだ。きっとそれは本当であり、本当ではないのだろう。そして、全てがその言葉に詰まっている気がする。彼が何を大切に、フライフィッシングをしていたか少しだけ想像できる気がする。
いつまでも元気でいてほしい。
私に、昨日の出来事のように、いま一緒に目の前の川を見ているかのように、話しを聞かせてほしい。
そしてこれからも、カウンターで珈琲を飲みながら一緒に釣りに行きましょう。