文:岡村 俊邦(NPO法人近自然森づくり協会理事長 農学博士)
1970年代、ドイツ語圏のヨーロッパで、都市や農村等の身近な空間から野生動植物が急速に失われることに人々が気づき、野生の動植物の生息・生育空間をビオトープと呼び、これらの空間を保全・再生する活動が始まりました。この考えは、当初、河川環境の劣化に対する対応策と結びつき、ドイツやスイスで、近自然河川工法と呼ばれる新たな河川整備も進みました。もちろん、ビオトープは、河川や池などの水辺に限ったものではなく、森も草原も、裸の崖地も含め、特有の生物が生息生育する空間を指します。
ビオトープ(独: Biotop)は、生物群集の生息空間を示す言葉である。日本語に訳す場合は生物空間(せいぶつくうかん)、生物生息空間(せいぶつせいそくくうかん)とされる。生物の生息場所を意味するドイツ生まれの概念である。語源はギリシア語からの造語(bio(命) + topos(場所)。転じて、生物が住みやすいように自然環境を改変、または開発で損なわれた状態を回復・再生させることを指すこともある。
ビオトープは生物学の用語であるが、ドイツ連邦自然保護局ではビオトープを「有機的に結びついた生物群。すなわち生物社会(一定の組み合わせの種によって構成される生物群集)の生息空間」と位置づけている。別の表現をするならば「周辺地域から明確に区分できる性質を持った生息環境の地理的最小単位」であり、生態系とはこの点で区別される。つまり、ビオトープ(環境)とその中で生息する生物群集(中身)によって、生態系は構成されていると言うこともできる。ーWikipedia「ビオトープ」
川沿いのビオトープとエコブリッジ
1980年代には、この考え方が日本にもたらされ、近自然河川工法(後に多自然川づくり)が各地で試行されるようになりました。1997年に河川法の改正が行われ、その後、農地や道路、都市計画などでも近自然の考え方が取り入れられ、その中で様々なビオトープの整備も行われました。さらに、小中学校の環境教育と結びつき、校庭に池や水路、田んぼを設置し、水辺の動植物を呼び込む活動が行われました。
北海道では、先住民として暮らしていたアイヌの方々は、明治維新以後、生活の場であった森や川が無主の地として、国の管理となり、アイヌ文化の存続も困難な状況が最近まで続きました。2019年、ようやく「アイヌ民族支援法」(アイヌ新法)が制定され、アイヌ民族を初めて先住民族と明記し、従来の文化振興や福祉政策に加えて、地域や産業の振興などを含めたさまざまな課題解決の取り組みがはじまっています。しかし、生活の基盤である衣食住の資材の採取地として利用されきたイオルと呼ばれる森や川は、すでに、さまざまな形で開発され、かつてのイオルの役割を果たす空間は、その多くが失われるか、変質しています。
河川法改正の機運を受け、1990年代には、北海道でも劣化した河川環境の整備の一環として、治水安全度の向上に加えて、河川整備で失われた自然環境の代替策として、ビオトープとしての樹林帯の整備が精力的に行われてきました。この樹林帯整備の主要な方法として生態学的混播・混植法が採用され、その箇所は、現在までに全道で700箇所、350ha近くに及んでいます。
イオルというのは、動物を獲ったり山菜を採る場所のことで、いわば、アイヌ民族にとって生活の場のことです。かつてアイヌたちがこの北海道を「アコロモシリ」(私たちの大地)といって暮らしていたころは、この北海道中がアイヌのイオルでした。狩猟採集で生活のほとんどを支えていたアイヌたちは、仲間とのコミュニケーションのために、とても丁寧に地名をつけました。普段、私たちがよくなじんでいる地名も、その意味を知ってみると、つくづく先人たちの知恵に驚きと尊敬を感じます。そして、このアイヌ語地名こそが、北海道がアイヌのイオルだったことの証しでもあります。ー公益財団法人アイヌ民族文化財団「イオルとアイヌ語地名」
堤防盛土に造成された多種の在来種からなる十勝川治水の杜(2024年7月2日)
生態学的混播・混植法を用いて河川周辺にビオトープとして造成された森は、各地域の多種の在来種を混交させた森であり、アイヌ文化を支えたイオルの森に近いものになっています。そこで、これらの森をビオトープ、イオル、治水の3つの役割を果たすものとして位置づけることを提案したいと思います。これにより、特有の生態系の中で、先住民の文化と移住者の文化が共生する、安全で美しく、住みよい北海道を作り上げることができると考えます。
アイヌの方々はじめ、多くの北海道民、北海道を愛する日本全国の方々に応援をお願いします。
生態学的混播・混植法で造成した森をイオルの森として認定 第一号(2024年10月3日)